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境内:玉光山全珠院方丈

木造平屋建て 入母屋造、桟瓦葺き   玄関唐破風 銅板葺き
方丈 間口10間×奥行5.5間   玄関 間口1.5間×奥行4間
述べ面積 226.33u(68.48坪)  地面からの棟高さ 約8.3m

 

 

 この建物は『方丈』建築様式で建てられていて、大間(中央間)18帖、左右室中(脇の間)各15帖、開山堂13帖並びに左右位牌堂計21帖(位牌1200基収納)、また水屋を備えた六間取り形式の建築です。広縁は西と南側二方の前面が庭園(龍爪(りゅうそう)の庭)に面していて、玄関は東側に正玄関として位置し、【千手大観音殿】の石畳参道右手より入ります。
 『方丈』の語源は中国にあって、往持(寺の住職)の居室、居所を意味します。遡って、日本へ仏教伝来の時、維摩詰経の不思議品中の空室(居所)が一丈平方(約3m×3m)の狭い居所『方丈』と言い伝えられています。
『方丈』は鎌倉時代に鴨長明が著した「方丈記」(建暦2年、1212年)の中に「・・・広さはわずかに方丈、高さは七尺がうちなり・・・」と書かれていて、わずか一丈四方の土台で組んだ移動式の草庵風住居の系譜と次の禅宗建築の系譜に分けられます。
禅宗の系譜は中国より栄西禅師が伝えた臨済宗(建久2年、1191年)、道元禅師の曹洞宗(安貞元年1227年)、隠元禅師の黄檗宗(寛文元年、1661年)の三派がありますが、中国から伝えられた禅宗伽藍形式は仏教各宗派に影響を与え、横浜市の称名寺絵図中の方丈(元亨3年、1323年、真言宗)、京都市の本興寺方丈(天文17年、1548年、日蓮宗)、同市の知恩院方丈(寛永18年、1641年、浄土宗)でも『方丈』建築様式で建てられました。
 最も古い『方丈』建築としては京都市の竜吟庵方丈(嘉慶元年、1387年、臨済宗)が存在します。間口8.5間×奥行6.5間で奥に眼蔵(住職の寝所)を持ち、古式の間取りを現しています。
【全珠院方丈】は接客の空間が備わっていて、竜吟庵方丈より間口は大きく、機能も明らかに違います。中国の禅僧、蘭渓道隆が建長元年(1249年)に鎌倉建長寺を創建の時、その指図(伽藍総絵図)が残されていますが、指図には『方丈』の書き込みでなく『大客殿と客殿』の書き入れがあって、呼称の違いが見られます。ですから、『方丈』建築は客殿としての機能も持ち、その変化は床の間や違い棚を備えた上段や礼の間、檀那の間、書院などを備え、現存する各『方丈』建築に見ることができます。
 さらに、『方丈』の中央奥の間に宗祖、開祖、歴代住職の位牌を祀る真室(仏壇)や奥の間に祀堂
が付加されると、室内荘厳や仏事儀式の機能が備わるようになって、本堂として儀礼の場に変化してきました。
 【全珠院方丈】はこのような『方丈』建築の歴史の伝統を受け継いでいます。檀家様への接客空間としての客殿の機能や本堂としての荘厳儀礼の場を合わせ持ち、また、【千手大観音殿】にお参りされる方々の休憩や接待所のための新たな『方丈』建築です。【全珠院方丈】と【千眼千手観音殿】は周囲の作庭と一体的に配置されていて、静寂な礼拝の空間を創り出しています。

 

(有)日本建築研究所 古川 敏夫

 

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